
最高の道~神の愛を知り、応答する歩みへ~ (一コリント12章31節~13章13節) 【週報巻頭言】2025年9月28日
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(一コリント13章4~7節)
この聖書の言葉が語られる時、よく言われることは、ここに書かれている「愛」という言葉を、「キリスト」という言葉に置き換えて読んでみてください、ということです。つまり、キリストという方が、ここに語られているようなお方なのだ、ということです。すると、ここで語られている愛とは、キリストの愛、神さまの愛ということになります。私たちは、おそらくここで語られている言葉を読むと、自分が今まで考えていた愛とは違うとか、ここに語られているのが愛というのなら、自分には愛がないのではないか?と思ってしまうのではないでしょうか。
私には、愛がないということに気づいた。でも、そこでがっかりしなくてもいいのです。そういう私が、4~7節で語られている愛、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。・・・」という、神さまの愛によって私は愛されている。私たちは、神さまの愛によって愛されていることを知るのです。愛を知った、愛されていることを知った私たちもまた愛する者として生きようとする。神さまの愛に応答しようとする。それが、最高の道だというのです。
ある牧師先生は、愛なき奉仕、愛なき献身というものがあると言われました。それは、神さまの愛を知らないで奉仕をすること、献身、神さまに自分をささげるということです。しかし、神さまの愛を知らないなら、何を動機にして奉仕をするのでしょうか?献身するのでしょうか?自分を誇るため、自己満足のために行われることになるでしょう。しかし、神さまの愛を知るならば、その喜び、感謝からの奉仕、献身となるのです。私たちは、最高の道、イエス・キリストの道を歩んでいくことができるようにしていただけるのです。
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